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本と書評

【本の紹介・書評】母語の重要性を示す『日本語の教室』(大野晋・著)

『日本語の教室』は第一部と第二部からなりますが、このレビューでは第二部にフォーカスします。

第一部では、9つの質問に答えています。なかでも、日本語の起源についての著者の研究エピソードや、日本語の詩と脚韻に関する回答は、読みものとしておもしろく、著者が国語学の第一人者であると同時に優れたストーリーテラーであることも感じられます。

第二部では、「日本の言葉と文明」をテーマにした論考が展開されています。

まず、夏目漱石や森鷗外は『源氏物語』を読んでその影響を受けたのか。このような話から始まります。著者は、彼らの書いた文章を引用しながら考察し、「漱石も鷗外も結局『源氏物語』をよく分る文章として読んだかといえば、そうではなさそうだ」という見解を示しています。漱石や鷗外の文章の骨格は、漢文で養われたといいます。

「日本の文章の歴史を見渡して下さい。漢文訓読系の文体と和文系の文体とがあります」。このように記してから、漢字・漢文とヤマトコトバの特徴を述べて、漢字・漢文の重要性を浮き彫りにしていきます。

これらは、日本人の心にとってどのような役割を果たしてきたのでしょうか。著者は、つぎのようにまとめています。

……日本人は漢文そのもの、その訓読系の文章によって明晰、簡明、論理的な組織化の重要さを学び、和文系の表現によって優しい心、自然を感受する心、情意のはたらきを受けとる能力を養って来た。その二つが日本人の心をはたらかせる車の両輪だった。

この両輪の一方である、「長らく日本人の知的生活とともにあった漢文・漢文訓読系の文章」の大きな転換点となったのが、敗戦だといいます。

戦後、漢字制限が進められました。この漢字制限の動きなど、「戦後の文字政策」について詳細にたどり、「言語はただ道具として存在しているものではなく、物や事と即応する精神的組織です」と述べて、「言語を単なる道具と見て、取りかえたり、削ったりすること」の問題を指摘しています。

ここでは、アメリカのCIE(GHQの民間情報教育局)による「日本人の読み書き能力」調査の話題も取り上げられ、「この調査がどんな風に、どんな問題によって実施されたのか」も詳しく紹介されます。

さらに、「改革された言語の教育がどんな風に進行し、どんなことが生じて来たか」について、「言葉と事実の認識との関係」について論じていきます。

著者は、事実の認識力の低下の事例をいくつか挙げたあと、つぎのように記しています。

このような最近の社会現象に現われた、文明の正確な、精しい理解、把握力に欠けた日本人の行動は、私の見るところでは、実は日本語を正確に、的確に読み取り、表現する力の一般的な低下と相応じていると思うのです。……事を精確に把握しなければ、的確な表現は不可能です。そしてまた言語の能力が低く、単語の数が貧弱では、文字を通して事態を精確に理解も表現もできないということがあります。……

著者は文化と文明を区別し、自身の研究を踏まえて、日本は「基本的な文明はすべて輸入品にたよって生きて来た国」であり、「ロゴス的志向・ロゴス的行動に欠けて何千年と来た」という見解を示します。

日本人の特色は、「感受する力に長じている」一方で、ロゴス的思考・ロゴス的方法に欠けていること。言語的事実を示し、さまざまな例を挙げて、このような指摘を行っています。

先に引用したことの繰り返しですが、「日本人は漢文そのもの、その訓読系の文章によって明晰、簡明、論理的な組織化の重要さを学び」ました。これは、「理」を学んだと言い換えられるでしょう。しかし敗戦が「漢文・漢文訓読系の文章」の転換点となった。

著者は、つぎのように記しています。

……漢文訓読体という文章は文明に向き合おうとする意志によって維持されて来ました。それが敗戦後の言語政策によって壊されて行き、人間の理と情という両輪の一方が国民として脆弱になり崩れて来たと私は見ています。

では、日本はどうすべきなのか。著者は、日本の今後の教育のあり方について提言しています。

大まかな紹介ですが、以上のようなことが論じられています。2002年出版の本ですが、いま読んでも色褪せない論考です。著者が言うように、言語は「物や事と即応する精神的組織」であること、「人間は母語によって思考する」ことを、私たちは忘れてはならないと思います。本書には、日本語をしっかりと身につけることの重要性が示されています。

初出:2025年01月12日